東京高等裁判所 平成9年(う)607号 判決
本件は,被告人が,①オウム真理教教団の幹部らと共謀して,VX溶液を使って,約1か月の間に3名を殺害しようとし,濱口事件においては被害者を死亡させ,水野事件,永岡事件においては,それぞれの被害者に加療約2か月を要する傷害を負わせ,②教団の幹部らと共謀の上,信者らが現在する教団ビル1階店舗内に点火した火炎びんを投てきして発火炎上させ,人の身体及び財産に危険を生じさせ,③虚偽の記載をした一般旅券発給申請書を提出して,不正な行為により実弟名義の旅券の交付を受けた上,フランス共和国への出国及び本邦への帰国に際し,これを呈示して行使したという事案である。
(1)まず,①の殺人及び同未遂の犯行についてみるに,これらの犯行は,VXという一般には知られていない猛毒の化学兵器を用い,一般市民を次々と暗殺の対象とした前代未聞の凶悪かつ重大な事犯である。各犯行は,教祖である松本が,教団に敵対すると判断した被害者らを,教団武装化の一環として製造したVXを使って殺害することを企て,その担当者として,特に信頼し得る教団幹部の新實,井上,遠藤,中川のほか,被告人を自ら選定し,井上の部下も加えることを指示して敢行させたものである。松本が被告人を実行役に選んだのは,元自衛隊員であり,自らの警護をさせていた被告人の能力や経験を買ってのことであった。犯行に当たっては,役割分担に従い,用意周到に準備を重ねた上,万全といえる態勢で臨んでいる。各犯行の組織性,計画性は明らかであり,被告人は,そのような犯行であることを知りながら共犯関係に加わり,3回とも実行行為者として,被害者の頚部を狙ってVX溶液をかけ,いずれも成功している。被告人は,水野事件を敢行するに当たって,被害者にかける液体が毒性の高いものであると教えられていたばかりか,濱口,水野事件を敢行するに当たっては,前の犯行の被害者が入院あるいは死亡したと告げられながらも犯行に及んでいる。
被告人の犯行の動機は,襲撃の指示を教団の絶対的な存在である松本からの命令と受け止め,これに従ったことにあるが,教祖を絶対的な存在と認めるような組織に自らの意思で身を置き,相応の評価と地位を与えられて積極的に活動していた以上,松本らの指示に従ったという点をそれほど有利に斟酌することはできない。しかも,被告人は,永岡事件については,襲撃の対象が被害者の会の会長親子であることを知らされていたが,濱口事件については,公安のスパイであると知らされただけであり,水野事件については,被害者が教団の秘密を握っている人物であると知らされただけであるのに,それ以上の理由を知ろうともせず,指示されるままに被害者を直ちに抹殺しようとした思考も危険で反社会的である。被告人は,いずれの犯行においても一時躊躇を覚えたという事実がうかがえるが,結局,自らを納得させて積極的に松本らの意図を実現させているのであって,犯行の動機に酌量の余地はない。
犯行の結果も,極めて重大である。死亡した濱口は,当時28歳の独身男性であり,会社員として健全な社会生活を営んでいたものである。何らの落ち度もなく,公安のスパイであると誤信された挙げ句,被告人らの凶行により,突如として命を奪われたもので,その無念の情は察するに余りある。水野と永岡は,重篤な中毒症状に陥り,生命の危険にさらされた。濱口の両親は,被害者の不憫を思い,入院後も意識も戻らず,脳死状態に陥って死亡するに至るのを見守ることしかできなかったことの侮しさや歯がゆさに苛まれ,その後も気持ちが癒えることはなく,他の親族とともに,被告人に対し極刑を望んでいる。また,水野も,被告人に対し厳しい処罰感情を有しており,永岡は,松本にマインドコントロールされていた実行犯には,いわば被害者的な面もあるので憎まないとしながらも,被害にあったこと自体に関しては憤り,強い処罰感情を示している。一般社会に与えた衝撃,恐怖心も,計り知れないものがある。
②の火炎びん投てき事件は,井上の指揮のもと,実行役,見張り役,逃走車両の運転手役などを分担して敢行した組織的かつ計画的な犯行であり,被告人は,単なる見張り役として起用されたものではなく,実行役が追いかけられたりした場合に,これを援護し,逃走することを容易ならしめる役割が期待されていたものである。犯行の動機は,当時,予想されていた教団に対する警察の強制捜査を攪乱するためであって,酌量の余地がない。教団ビルにいた信者らは,本件犯行を前もって知らされておらず,被告人らの犯行は,組織防衛のためには,なりふり構わないものとして,厳しい非難に値する。
③の旅券法違反の各犯行は,被告人が,いずれ自己の犯行が警察に発覚すると考え,その追及を免れるために,国外に逃亡しようと企て,実弟名義の旅券を不正に取得し,教団から資金援助を受けた上,その旅券を使用してフランス共和国へ出国し,その後,さらに同旅券を使用して本邦に入国したというもので,これまた悪質である。
他方,被告人が自首し,本件各犯行の真相解明に大きく寄与したこと,被告人が,殺人及び殺人未遂の犯行の決定及び殺害方法の選定には関与しておらず,上層部の指示に従ったものであること,被告人の水野事件における犯意が未必的殺意にとどまること,被告人が本件各犯行を真摯に反省していること,これまで前科もなく,教団に入信しなければ本件のような事件を起こす犯罪性がうかがわれないこと,教団を脱会し,今後被害者遺族に慰謝の措置を講じて行きたいとの意思を持っていることなど被告人のために酌むべき事情も存在している。
(2)そこで,これらの事情を総合して考察すると,本件は,①の犯行のうち濱口事件の罪については無期懲役刑を選択すべきであり,自首の事実がなければ,この罪につき被告人を無期懲役に処し,他の刑は科さないものとすべき事案である。しかし,本件において,被告人が濱口事件を含め殺人,同未遂事件につき自首していることは,これらの事件の真相解明に大きく寄与し,その動機に反省の情に出た面もあることからすると,濱口事件で選択した無期懲役刑については自首減軽をするのが相当であり,被告人を無期懲役に処すべきでないが,有期懲役刑又は懲役刑を選択しあるいは懲役刑に当たるその余のすべての罪とともに併合罪の加重をした処断刑期の範囲において,その最高限である懲役20年を下回る刑に処するのは軽きに失するといわなければならない。被告人を懲役17年に処した原判決は,破棄を免れない。論旨は,前記限度において理由がある。